科学から信仰へ
-その必然性を探る-
編著 | 永井四郎 |
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判型 | 四六頁:210 |
ISBN | 978-4-434-22523-9 |
発行 | 2016年10月 |
定価 | 1,650円(本体1,500円+税)
在庫:○
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私はこれまで四十数年間、理論経済学の研究に携わってきました。私にとって理論経済学とは、「時代を超えて経済社会を貫く軸を探求する学問」です。私はそのように確信し、世界(宇宙)の秩序(絶対性)と経済社会の秩序(可変的で価値体系に依存し、何らかの形でその秩序が市場に反映される)を取り込んだ研究をしてきました。そこで私は前者をN(Nature)構造、後者をM(Market)構造と名づけ、両構造を視野に置いた理論、すなわちM–N構造理論の必要性を著書や論文、そして大学院の講義の中で提唱してきたのです。例えば使用済核燃料のリサイクル技術は、特に日本のようなエネルギー資源の少ない国ではきわめて要請度が高く、これまで膨大な研究開発コストが投じられてきました(M構造)。しかし未だにその技術は開発できていません。それは自然界の秩序(N構造)が、研究開発の成功を阻止しているからです。もちろん将来、新たな知識が加えられて開発に成功することを否定できませんが、それもN構造の領域に属する問題です。
これまで人類はさまざまな技術を開発し、それがもたらす便益によって、私たちは便利で快適な生活を享受しています。N構造はある秩序の下で維持されていますが、一旦、M構造の働きが過度になりますとN構造下の秩序が攪乱されます。地球環境問題は、その典型的事例と言えましょう。このようにN構造とM構造は密接な関係にあります。
N構造下における具体的秩序を探ることは、私にとって専門外の分野でしたが、あえて挑戦することにしました。そこには生命科学、遺伝子工学、そして量子論・相対性理論を含む地球物理学の世界が待ち構えていました。こうした学問の成果を取り込んでいく過程で、私は以下の二つの点に注目しました。
(ⅰ) 生命科学や遺伝子工学、そして地球物理学は経済学、心理学、社会学など人間が創造した学問とは一線を画している。それらは人間が絶対性を観察し、推論して構築した学問である。
(ⅱ)N構造下に存在している無数の秩序は、相互に「人間が地球上でその生を維持している」という事実と深く関わっている。
第二の点は、宇宙創成は偶然によるか、それとも設計者(神)によってデザインされたものかという問いにつながっていくでしょう。読者の中には「自分は無神論者なので、宇宙創成はもとより地球に生命が誕生したのも、そうなるべくしてなった偶然の結果だと考える」と言う人、あるいは「人間には判断できないことを考えるのは非生産的だ」とする人もおられるでしょう。
私たちは三次元空間(時間軸を入れれば四次元時空)に身を置いていますから、その空間の中で思考し行動しています。したがって、五次元や一〇次元といった高次元空間を想定することは困難です。けれども現代の地球物理学では、「ブレーン宇宙モデル(宇宙は一〇次元空間に浮かぶ薄い膜)」、すなわち「私たちの宇宙」には〇・一㎜の距離(異次元における距離)をおいて「影の宇宙」が存在するという仮説が提起されています。三次元ブレーン内にいる私たちは「影の宇宙」に移動することはできませんが、重力であれば互いに伝わることができます。重力を介して何らかの物質が「影の宇宙」から私たちの宇宙空間に漏出しているという仮説は、地球物理学者の間で広く知られています。
私たちの宇宙の構成要素のうち九六%は正体不明の物質でできています。私たちが認知できるバリオン(陽子や中性子)を成分とする元素は、宇宙空間にわずか四%を占めるにすぎず、残りの九六%は正体不明の物質(暗黒物質・暗黒エネルギー)なのです。暗黒物質は目で確認できませんが、重力を周囲に及ぼし、あらゆる物質を貫通すると考えられています。実際、アメリカの物理学者たちのあるグループは、廃鉱となった炭鉱の竪穴を利用し、地球をも貫通すると言われる暗黒物質を捕らえようと特殊な装置を使って観測しています。日本でも岐阜県飛騨地方に観測装置が建設され、鈴木洋一郎教授(東京大学)の研究チームが挑んでいます。この謎の物質やエネルギーがなければ、地球上での私たちの生が維持できないことも明らかにされています。暗黒物質の解明によって人類は何処から来て、何処に向かっていくか、哲学的神学的問題に進展していくだろうと言う物理学者もいます。暗黒物質は科学的根拠に基づいて、その存在が明らかにされた実体なのです。
このように三次元空間に置かれている私たちには想像を絶するような世界が現実宇宙で展開しているのです。もちろん科学は万能ではなく、限界があります。本書は、その限界を十分に考慮しつつ、科学から信仰(聖書に基づく信仰)への必然性を読者諸氏と共に考えてみたいという趣旨で書かれたものです。けれども読者の中には、そんな必然性など飛躍し過ぎており、論理的にもあり得ないと思われる方がおられるでしょう。そのような方々は、本書の叙述を疑いの目で、あるいは批判的視点から読んでいただきたいと思います。
序論では科学とは何か、科学的に思考することの意味を考えます。
第1章では進化論と創造論について、先入観を取り払った白紙の状態で両者の比較考量がなされます。そして考古学や遺伝学の成果を利用し、自然哲学的思考に立って進化論と創造論の統合がなされます。その結果、旧約聖書の「創世記」(第4章︱第8章)に新しい解釈を試みます。
第2章ではキリスト教の確立、およびキリスト教神学における「科学と宗教」論議、特にその対立と融和について大まかな流れを確認します。さらにそうした議論を踏まえて、現代科学の課題について考えます。
第3章の中心テーマは、現代地球物理学が明らかにした事実(第1節︱第3節)について、私たちがどのように受け止めるべきかを考えることです。多くの科学者たちは、宇宙が神によってデザインされたとする考えを非科学的であるとして拒否します。つまり彼らの主張は「人間は偶然に生まれたのだが、今現在をわれわれが生きているという事実から、宇宙は人間が生存していけるように創成されたと言わざるを得ない」というわけです。すなわち「神によるデザイン」観は、偶然を必然に置き換えてしまうトリックによって生じたと言うのす。この論理には重大な欠陥がありますが、第3節で詳しく論じられます。
第4章では、私たち人間が何処から来て何処に向かっているかという問題がテーマになります。聖書はこの問題に対して明確に応えていますから、まずそれを仮説として設定します。次に第3章(第1節︱第3節)における現代科学の成果に基づいて、聖書仮説を検証するという仕方で進めます。ところがこの段階にきますと、読者から次のような声が聞こえてきそうです。「そんな方法は科学ではない。テーマそのものも科学の対象としてふさわしくない。しかも聖書に基づいて仮説が設定されるとなれば、それは科学の範疇を超えた信仰の領域である。」この問題については、序論および第1章での議論を踏まえて第4章本文で考えることにします。
第5章では、私たちが前章の検証結果を受け入れるか否かという問題が扱われます。それは私たちがなすべき選択の問題です。ですから本書は「人間が生を受けた以上、一度は真剣に選択すべき問題」を読者の皆さんと共に考えてみようという意図を含んでいます。
これまで歴史に残る研究を成し遂げた多くの科学者たちが、信仰への道を選択しています。次頁に「パスカルの定理」で知られた数学者、ブレーズ・パスカルの祈りを掲げて、はしがきを閉じることにしましょう。
二〇一六年七月 麗澤大学 研究室にて 著者
- はしがき
- 第1節 科学的に思考する
- (1)科学とは何か
- (2)科学的思考とは何か
- 第2節 科学の限界を知る
- 第1節 議論に先立って
- 第2節 ダーウィン進化論と突然変異
- 第3節 今西進化論における「自然デザイン論」
- 第4節 進化論と創造論の統合
- 第5節 「創世記」新釈
- 第1節 キリスト教の確立とその神学的展開
- (1)キリスト教の確立
- (2)キリスト教神学の展開
- (2)-1 中世以前(一-四世紀)の神学
- (2)-2 中世(五-一五世紀)の神学
- (2)-3 近代の神学
- 第2節 宗教と科学―その対立と融和
- (1)宗教とは何か
- (2)宗教と科学はなぜ対立するのか
- (3)宗教と科学の接点
- (4)社会科学と宗教
- 第3節 現代科学の課題
- 第1節 宇宙創成の驚異
- (1)ビッグバン理論と宇宙背景放射
- (2)宇宙の膨張
- (3)太陽系の形成とハビタブル・ゾーン
- 第2節 一般相対性理論
- (1)特殊相対性理論
- (2)一般相対性理論
- 第3節 宇宙創成は偶然によるか、デザインによるか
- (1)豊かな自然といのち溢れる地球
- (2)天地万物は神によって創造された
- 第4節 聖書が語る天地創造の科学性
- 第1節 生命の驚異
- (1)生命の仕組み
- (2)シュレーディンガーが提起する二つの驚異
- 第2節 聖書が語る人間存在の意味
- (1)人は神に似せて創造された
- (2)「たましい」の不滅性について
- (3)聖書が語る人間存在の意味
- 第1節 なにゆえ多数の宗教が生まれたか
- (1)三大宗教の類似点と相違点
- (2)魔術と宗教
- (3)宗教多元主義とその問題点
- 第2節 信仰とは何か
- (1)罪とは何か
- (2)罪がもたらす結果(ⅰ)
- (3)罪がもたらす結果(ⅱ)
- (4)罪がもたらす結果(ⅲ)
- (5)神の愛と傷み
- (6)信仰とは何か
- (7)信仰はどのようにして与えられるか
- (7)-1 神の発する信号
- (7)-2 救いとは何か
- (7)-3 真理が貫かれる装置
- (7)-4 「罪即義」は矛盾であるか
- 第3節 信仰によって何が変わるか
- (1)祈りの喜びと平安
- (2)苦難の中での確信
- (2)-1 ジョージ・ミュラーの信仰
- (2)-2 もはや私が生きているのではなく……
- 参考聖句
- 補 足 旧約聖書の史実性について
- あとがき
- 参考文献